日 時:2020. 10/2 (金)、11/6 (金)、12/4 (金)、2021. 1/8 (金);10:00 ~11:30 会場:第1、3、4回 東広島市市民文化センター(サンスクエア)研修室2;第2回 広大教育学部B817教室 第 1 回「万葉集の時代(以下、「万葉時代」と略)、風土、万葉集の構成」読解:第 1 巻第 1 番歌、第 2 番歌、初期歌人額田王 第 2 回「万葉時代の歌と美術(仏像、建築等)」読解:万葉第 2 期(天智天皇、天武天皇、 持統天皇、柿本人麻呂等)、飛鳥、白鳳、天平の美術。 第 3 回「筑紫歌壇ー梅花の宴」読解:万葉第 3 期(大伴旅人、大伴郎女、山上憶良等) 第 4 回「大伴家持」読解:万葉第 4 期(大伴家持第 20 巻第 4516 番歌「新年の歌」、家持の抒情精神)。 総 括:コロナ禍の影響で、人数制限(希望者50名超)。受講生20名が熱心に聴講された。ほとんど全員が万葉集を以前から愛好、愛読されていた方で、古くから愛用の「万葉集」を携行されて出席された方もおられた。教えられるところもあり、私たちの市民講座のあり方にも多くの示唆をいただいた。 関心のあったトピックスの紹介 ①「古奈良湖」。現在の近畿地方の地図で万葉時代を理解してはいけない。当時、大阪湾は深く入り込んでいて、生駒山脈の麓まで大きな河内湖をなしていた。大和川で山を割って広い奈良湖につながっていた。608 年、前年の遣隋使小野妹子の答礼に隋使裴世清来朝。大和川、飛鳥川を舟でのぼって、推古天皇を明日香小懇田宮に拝謁した。過去 50年の考古学の成果、古奈良湖の存在が実証された。万葉集第 2 番の舒明天皇の歌にある「カモメ立つたつ」光景が見られておかしく ない。私どもの世代は、高校の古文の時間に万葉集を習って、そのような地図を知らなかった。 ② 中大兄(後の天智天皇)は倭・百済連合軍を組んで朝鮮半島に出兵、唐・新羅軍と戦うも白村江で大敗北。万葉時代の大試練。以後、唐に倣った国家建設に向かう。壬申の乱。天武・持統天皇が権力を掌握、中国長安の都城制を模した日本初の都城藤原京を開く(694 年)。東西 5.3 km、南北 4.8 km。平城京、平安京をしのぐ。京内人口 30,000~50,000 人。北斜面で衛生上欠陥、伝染病が蔓延したか、僅か 16 年で平城京遷都(710 年)。この間、肉親相食む権力争 い。多くの歌が遺された。天智、天武、持統の他、大津皇子や高市皇子等の秀歌。 ③ 白村江の敗戦で百済滅亡、さらに高句麗の滅亡のあと、大量の渡来人が渡来し、朝廷詰めの事務官僚の 8~9 割を占めるようになる。かれらが万葉集の万葉仮名による筆録者であり、筆録時半島在任期に知悉していた新羅郷歌をモデルにしたであろう。万葉仮名はかれらの創案であろう。万葉集は、近年東アジアの共同事業という視点から読み直されている。 ④ 万葉の精神を学ぶ上で、都城建設、寺院建築、仏像等の変遷を見た。法隆寺の釈迦三尊像からはじめて、中宮寺や広隆寺の半跏思惟像を経て、阿修羅像や鑑真像へ、その人間化への強い意志を見てきた。歌と像の相互反照を鑑賞した。 ⑤ 第 4 回「新年を寿ぐ歌:万葉集全 20 巻第 4516 番」大伴家持は元旦の寿歌で絞めた。「新年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家 餘其騰」(訓読み:あらたしき 年の始めの はつはるの けふ(今日)ふる雪の いやし(重)けよごと(吉事))この年の正月元旦は、元旦(新月)、立春、降雪(慶事)という目出たいことが重なった。家持はそれを朝拝で歌った。だがかれは伯耆(今の鳥取県)守の長官であった。当時急速に悪化していた新羅に対する厳戒態勢を片時も緩めるなという訓示を、武の家系大伴家の総帥として歌の中にこめていた。伯耆は対新羅の最前線基地であった。そのことが近年万葉仮名の古代朝鮮語読みから明らかにされてきた。
[続きを読む]