平成24年4月度活動報告

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【これは旧サイトから移行したデータです】

平成24年4月度活動報告

1)主なガイド活動

1-1)3月28日(水曜日)添田さん、細谷さん、永森さん、磯和さんが「いきがい大学、川越史跡めぐりクラブ」 の方15名を海雲寺から品川神社までのコースで品川宿を案内しました。

1-2)4月1日(日曜日)旅行雑誌社「旅行読売」が北品川観光案内所に取材に来られ、渡辺さんが史跡概要を説明しました。5月2日発売の「旅行読売6月号」に紹介されるとのことです。

1-3)4月15日(日曜日)北品川観光案内所に「テレビ東京」取材班が突然取材に来訪。テレビ東京は「土曜スペシャル、街道歩きの旅」を制作中で品川宿が紹介される第一回の放映日・時間は、5月12日(土曜日)19:00~20:54の予定です。インタビュアーは元横綱若乃花で当日の当番であった野田さんが応対しました。

1-4)4月20日(金曜日)阿部さんが「友&遊」5名の方を八つ山から鈴ケ森刑場跡までの旧東海道フルコースを案内しました。


2)観光案内所での案内

4月は、北品川観光案内所に延日数8日、延人数18名で、訪問客の案内を実施。
大井町の観光協会「しなかんプラザ」には土曜日3回延人数3名が案内。
「しなかんプラザ」への応援は4月からは観光協会単独で実施するということで
当クラブからの応援はなくなります。

3) 定例会

4月27日(金曜日)定例会を中小企業会館で実施。5月のガイド案内担当者及び北品川観光案内所担当者等を決めました。


3)ネットでの史跡案内ー第二回「品川台場」ー

「お台場」は、全国から東京を訪れる修学旅行生、外国人観光客の観光コースには欠かせない東京の観光スポットです。「お台場」の名前は、「品川台場」より由来したものです。

嘉永6年(1853)の米国のペルー提督率いる黒船艦隊は、日本の開国を強く迫り1年後再来航することで日本を去りました。幕府は、もっと強固な台場を品川沖内海に建設することを計画、当初の計画は南品川から東北の深川須崎(現在の江東区東陽)にかけて、海上に11基、品川御殿山下に陸続きで1基、合計12基の台場を建設する計画でしたが、財政難等で第1,2,3,5,6、御殿山下台場のみ完成、第4,7台場は途中で建設中止、残りは未着工となりました。台場建設に要した費用は、台場本体工事費75万両、大砲鋳造費用16万両、合計91万両(約900億円)と言われていますが、一度も実戦には使われませんでした。

第三台場は、東京都の台場公園としてお台場海浜公園と陸続きになり徒歩で自由に出入りができます。又、レインボーブリッジより全体像が見られます

第六台場は、台場そのものは残っていますが、人の立ち入りは禁止されています。外界とは隔離された地域になっているので、鳥類、昆虫類、野生の花、草木の楽園となっているそうです。

第四台場は、現在の天王洲アイル地区の埋立で解体されましたが、この埋立地区の北側にある天王洲大橋の橋げたの脇に、第四台場に使われた石垣が若干残っています。
通称「崩れ台場」と言われています

第二台場も海上交通の邪魔になるということで、昭和32年(1957)に解体されました。
この台場に明治3年(1870)に建設された品川灯台は、洋式灯台としては、日本最古の灯台で第二台場が解体されるまで現役として活躍していましたが、第二台場の解体に伴い撤去され、愛知県の明治村に移設されました。写真上は解体前の第二台場下は品川灯台です。(セピア色の品川より)

御殿山下台場があった地区には、昭和32年(1957)に御殿山小学校が建設され、校門前には、品川灯台のレプリカ及び御殿山下台場に使われた真鶴石が展示されています。