平成24年8月度活動報告

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【これは旧サイトから移行したデータです】

平成24年8月度活動報告

1)主なガイド活動

1-1)8月5日寺竹さんご家族を渡邊さんが品川宿に案内。小学生の娘さんの
夏休みの学習として、尚一層品川宿を知るために案内の依頼があったもの。

1-2)8月25日(土曜日)JR東日本東京総合車両センターで実施された「2012夏休みフェア」で観光協会ブースでのお手伝いに渡邊さん、井上さん、小出さんが参加。

2)観光案内所での案内

8月は、連日暑い日が続きましたがお盆期間を除いて北品川観光案内所で延日数6日、延人数12名で、訪問客の案内を実施。

3)定例会

8月24日(金曜日)中小企業エンターで8月の定例会を実施。8月のガイド活動報告及び9月のガイド案内担当者及び北品川観光案内所担当者を決めました。

4)ネットでの史跡案内―第4回、品川神社―NO1-―

 品川神社は、1187年(平安時代後期)の創建で、源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として安房国の州崎明神である天比理乃咩命を勧請したと伝えられます。北品川宿の鎮守様で「北の天王様」と呼ばれています。6月7日前後に行われる「北の天王祭」では、御神面をつけた神輿が、品川拍子に合わせて巡行します。なお、この御神面(国常立尊の面)は、徳川家康が奉納し、「天下ひとなめの面」とも云われています。境内には、上野東照宮の鳥居についで、都内では二番目に古い石造鳥居(1648年)や石造水盤(1648年)、石造灯篭(1648年)、備前焼狛犬1830年(江戸後期)や昇り龍・降り龍の石造鳥居(大正14(1925)年)などがあり、富士塚もあります。東海七福神の一つで。「大黒天」が祀られています。

上の大きな写真は品川神社入口付近の全景。左側に、富士塚、中央に東海七福神の案内板及び品川神社に祭ってある大黒様の像が見える。

左右の柱に上り龍、下り龍の彫刻を施した階段下の大鳥居は、大正から昭和の初期にかけて北品川宿で栄えた料亭「三徳家」の主人赤松徳次郎が大正14年
(1925)に寄進したもの。奥には53段の長い階段が続く。

長い階段を登りきると境内。
一番社殿に近い鳥居は、社務所脇の水盤とともに、下総藩主堀田正盛が慶安元年(1648)に寄進したもの。都内では上野の寛永寺にある石造り鳥居についで2番目に古い石造り鳥居。
鳥居の手前には、備前焼でできた狛犬(1830年制作)がある。

富士塚は、富士山を信仰する富士講という団体の人々が富士さんを遥拝する場所として築いた人造の山。写真は、現在の富士塚
頂上より見た景色。京浜急行の高架、左側のインターシティーの高層ビル群が見える。

品川神社富士塚は、明治2年(1869)に北品川の丸嘉講の約300名の人によりに造られ、その後大正11年(1922)に第一京浜国道建設のため東側が一部削られ石垣となっている。写真は大正から昭和にかけての富士塚から見た北品川の景色。(セピア色の品川より)

丸嘉講では、現在も毎年7月1日前後に「山開き」行事を行っている。写真はふもとの「浅間神社」に御衣(ぎょい)という白装束で集まり安全登山を祈願している丸嘉講の人々。

浅間神社のお祈りの後、登山道を登り頂上で再度お祈りする丸嘉講の人々。