「智恵子抄」発刊80周年記念行事の紹介
高村智恵子は 1938 年(昭和 13 年)10 月 5 日、南品川のゼームス坂病院で亡くなりました。品川郷土の会は、ゼームス坂病院跡地にレモン哀歌の記念碑を建立し、顕彰しています。今年は、高村光太郎が妻・智恵子への思いをつづった詩集「智恵子抄」が出版されてから80年になります。これを記念し、当会と交流する二本松市の「智恵子のまち夢くらぶ」が、詩集の中から最も心に残った作品を決める「総選挙」を開催します。
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高村智恵子は 1938 年(昭和 13 年)10 月 5 日、南品川のゼームス坂病院で亡くなりました。品川郷土の会は、ゼームス坂病院跡地にレモン哀歌の記念碑を建立し、顕彰しています。今年は、高村光太郎が妻・智恵子への思いをつづった詩集「智恵子抄」が出版されてから80年になります。これを記念し、当会と交流する二本松市の「智恵子のまち夢くらぶ」が、詩集の中から最も心に残った作品を決める「総選挙」を開催します。
6月26日(土)午後1時30分より中小企業センターで第463回例会を開催し、例会終了後、会報復刊115号を発行しました。
中止となった5月例会での講演の予稿をダイジェストで載せました。
4月24日午後、品川区中小企業センターで、品川歴史館専門委員 柘植信行先生による『大江戸を支えた品川沖』の講演が行われました。品川は中世から品川湊として栄えましたが、江戸時代も日本各地からの年貢米などの諸物資を運搬してきた千石舟の繋留地、小型船への積み替え場所として、物流の一大拠点であった事が、浮世絵などを使って説明されました。