<府中刑務所を訪問して(その2)>

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【これは旧サイトから移行したデータです】

<府中刑務所を訪問して(その2)>

府中刑務所の前身は江戸寛政2年までに遡ります。池波正太郎の鬼平犯科帳でお馴染みの火盗改め「長谷川平蔵」が石川島(現在の東京都中央区佃2丁目)に人足寄場を設置(図1、2)したのがそのルーツです。明治になり西巣鴨に移転し「巣鴨監獄署」(図3、4)と改称、関東大震災後府中に移転し現在に至っています。
 ここは『刑事施設』と呼ばれ、犯罪者を社会から隔離し社会の安寧秩序をはかる事と 善良な市民として矯正し社会復帰させる事が目的で運営されている施設です。古くは前者が主体でしたが、近年では後者に重点が移りつつあるとのことです。
 私が印象を強く受けた③場内の規律と清潔感 は将にそれを具現化した形と言えるでしょう。
 自らが犯した罪をキチンと受け止め、反省し、更生・社会復帰する。そのための改善指導と出所後のフォローが特に重要ではないかと感じました。 
そして その上で嬉しいことは(その1)で感じ思ったことが既にスタートしていることを識ったことです。
 それは地域生活定着促進事業です。各都道府県に『地域生活定着支援センター』が設立され、保護観察所と協働して支援する体制がスタートしたことです。満期で出所された方は年間で1万4千人、65歳以上の高齢者は7千人。更にその中で 認知症や知的障害の方は約1千人。これらの方の多くが帰住先が未確定というデータを見るにつけ 定着支援センターと連携した市民後見活動こそ再犯を防ぎ累犯者を出さないという意味からも、私たちの後見領域ではないのかとの思いを新たにした次第です。
 こんな貴重な体験と学習をした見学会でした。                              (NI生記)

<図1 江戸地図 石川島>
安政5年(1858)に出版された佃島・石川島(赤線枠内)の掲載地図(青線の元は永代橋)

<図2 名所江戸八景 佃島>
隅田川に浮かび、永代橋の橋桁の間から、図1の青線方向に佃島・石川島(図中朱線枠内)を望んだ江戸名所絵

<図3 明治の巣鴨監獄署周辺>
明治42年の側図(1:10,000)。
明治28(1895)年に池袋駅の東方に設置され、昭和12(1937)年に現在の府中刑務所に移管

<図4 現在の巣鴨監獄所跡地>
昭和46(1971)年に巣鴨拘置所が解体され、昭和53(1978)年にサンシャイン60ビルが建立